東京からシアトルへ
東京の公立小学校に通っていたころのわたしは元気いっぱいで、1年生のときからリーダー役でした。けれど、いつも自分の考えを持っている子どもでした。日本には「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、わたしはまさにその杭でした。10代のころは、ありのままの自分でいられる場所を見つけられずにいました。
大学では英米文学を専攻しましたが、すぐに気づきました。わたしは本から学ぶタイプではなく、自分で体験しないと分からない人間なのだと。そこで19歳のとき大学を辞め、留学プログラムに参加して、ほとんど英語も話せないまま一人でシアトルへ渡りました。
授業では最前列に座ってテープレコーダーで講義を録音し、家に帰っては何度も聞き返して、宿題の内容を理解するのがやっとでした。最初の友人たちは、南イエメン、インドネシア、スイス、台湾の出身。片言の英語どうしで話しながら、不思議とちゃんと分かり合えていました。シアトルに暮らして、もう40年ほどになります。
アメリカでの最初の本格的な仕事は、ギフト製品メーカーの受付でした。当時はまだ英語も十分ではありませんでした。それから15年の間にさまざまな仕事を任せていただき、オフィスマネジメント、営業管理、人事、経理を経て、最終的には会社の共同経営者の一人になりました。与えていただいた一つひとつの機会に、今も感謝しています。